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34件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2016-04-26 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第16号

そして、私たち事業をやるために、母の日のカーネーション造花事業母たち経済的打開策としての事業を始めました。母の日が参ります。母の日のカーネーションをみんなで売って、やっぱりお互いに自分自分に御褒美みたいな形で私たちカーネーションを付けました。  昭和三十九年七月一日、会の結成以来宿願であった母子福祉法が制定されました。

海野惠美子

2016-02-18 第190回国会 衆議院 本会議 第12号

これは、三世代をも超える長年の母たちの、そして住民たちの粘り強い声と運動によって実現したものであります。  本来、国の制度とすべきものであります。にもかかわらず、どうして国は、こうした自治体お母さんたちの努力に水を差すような、国保の国庫負担額減額調整、いわゆるペナルティーを科すのでしょうか。こんなことは納得できません。  

梅村さえこ

2011-06-16 第177回国会 参議院 総務委員会 第18号

そうした母たちも一緒に多くの請願を集め、地方議会厚生常任委員会請願提出をして、提出をした議会で可決をしていただいて、二〇〇四年度の政策予算の中に、小さい額ではあります、一千七百万ですが、市から持ち出しでそういうB型通園事業を実施をするということを自分の経験の中でやらさせていただきました。  

武内則男

2007-02-21 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

基地附近の百鬼夜行の有様は、学童の勉学する所まで荒らされ、幼児さえ米兵の行為の真似をして遊ぶ状態は、ひとり日本の母を悲しませるのみならず、遠く我が子の上を思うアメリカの妻が、母たちが、若しこの実情を知りましたならば、その歎きと、当局に対する不信と憤りは、どのような結果を招くでありましようか。

戸井田とおる

2003-11-25 第158回国会 衆議院 予算委員会 第1号

核家族化で別居したその子供たちが長い老後を迎えている父や母たちを扶養するということは、ほとんど不可能でありましょう。  かといって、では、若いときに自分高齢期をどう過ごすかということで蓄えを残すということ、これができるのも、ごく恵まれた一握りの人を除き、国民の大多数の大衆は、働いた報酬というものを将来のために残していくということもこれまた今不可能ではないか、こんなふうに思います。  

冬柴鐵三

1987-11-30 第111回国会 衆議院 本会議 第2号

障害や難病を抱えた人々、被差別部落やアイヌの人々、そしてまた母子家庭や非婚の母たちが深く傷ついていることにもよくあらわれていると思います。しかも、政府の政策自体がこれを助長していることに、総理、お気づきになりませんか。福祉の対象となる人々が、貧困とか障害者とかいった社会的な烙印を押されないよう、行政は細心の配慮をする必要があることは御理解いただけると思います。  

金子みつ

1987-03-24 第108回国会 衆議院 法務委員会 第2号

読み上げたら涙が出るほど大変なことがいっぱいあるのでございますが、とにかく私たち現実に不可能なんだ、日本人の母が精いっぱい資料を用意して行ったらそれを認めてやってくれ、こういう母たち願いなんでございまして、取り扱いでひとつ御配慮賜りたいと思っておりますが、いかがでございますか。

坂上富男

1980-04-08 第91回国会 衆議院 法務委員会 第13号

現在母たちもうわれわれの年代、私も戦争未亡人でございます。考えてみれば、夫と暮らしたのはたった一年間足らず、夫の方の名前を名のって四十年になります。女一人がここで耐えていく、しかも妻の代襲権も何もなしで、夫の遺産というものは何もなしで、ここまでかみしめて自分に言い聞かせ言い聞かせ、戦争の犠牲のもとに泣いている女というのはたくさんおるわけでございます。  私も、財産のことで十年間裁判いたしました。

鯉渕鉱子

1973-06-27 第71回国会 衆議院 社会労働委員会 第35号

でも身分保障には不安をもっていて、事故の起きる前日も、母たちは上司と話し合ったと言っていました。その夜“誇りのもてる仕事なら、一層身分保障が必要だ”って二人で話し合ったばかり」のときになくなったというのですね。  いいですか。この横山さんという人は、四十四年の九月に家庭奉仕員になったわけです。

村山富市

1966-03-01 第51回国会 衆議院 本会議 第20号

留守宅の四人の妻や母たちは、電報を手に「貧乏人はどうしてこういじめられるのか」と泣くばかり。大きな工場や事業場で大きな事故がある。死ぬのはきまって下請けの労務者である。冬だと、その中にかならずといってよいほど出かせぎ農民がいる。先月末本紙社会面に「母恋しさに三百キロ」という記事が載った。六年生の男の子が保護された。和歌山のみかん畑へ出かせぎに行った母親に会いたかった、という。

湯山勇

1961-07-31 第38回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

われわれも多発地区である熊本県天水町に行き、保健所長町長等の説明を聞き、患者母たちとひざを交えて話し合ったのでありますが、これらの人々子供病気になるまでは小児麻痺のほんとうのおそろしさを知らなかったと述懐していました。当町は県下でも環境衛生状況は比較的によかったとのことで、患者は多発したが、各部落に散発的に発生して、伝染経路はわからないということでありました。

竹中恒夫

1961-06-02 第38回国会 参議院 社会労働委員会 第33号

だから、それに対して母たちの生ワクを少しも早く使ってほしいという願いはあなた方の想像以上に強いものがございます。そういう希望を申し述べ、嘆願に行ったときには一体これに対して厚生省はどういうことを指導しておいでになるのかということを伺いたい。ですから、高野さんの言われたように、薬事審議会の議に諮らなければ新しい薬が使えないような法律があることは私も承知いたしておる。

藤原道子

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