2016-04-26 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第16号
そして、私たちが事業をやるために、母の日のカーネーション造花事業、母たちが経済的打開策としての事業を始めました。母の日が参ります。母の日のカーネーションをみんなで売って、やっぱりお互いに自分で自分に御褒美みたいな形で私たちもカーネーションを付けました。 昭和三十九年七月一日、会の結成以来宿願であった母子福祉法が制定されました。
そして、私たちが事業をやるために、母の日のカーネーション造花事業、母たちが経済的打開策としての事業を始めました。母の日が参ります。母の日のカーネーションをみんなで売って、やっぱりお互いに自分で自分に御褒美みたいな形で私たちもカーネーションを付けました。 昭和三十九年七月一日、会の結成以来宿願であった母子福祉法が制定されました。
これは、三世代をも超える長年の母たちの、そして住民たちの粘り強い声と運動によって実現したものであります。 本来、国の制度とすべきものであります。にもかかわらず、どうして国は、こうした自治体とお母さんたちの努力に水を差すような、国保の国庫負担額の減額調整、いわゆるペナルティーを科すのでしょうか。こんなことは納得できません。
さて、とりわけ母たちの強い願いは、自治体間の違いをなくしてほしい、どこに行っても安心して医療を受けられるようにしてほしいということがあります。 そこでお伺いしますが、所得制限や一部負担の有無の自治体割合はどうなっておりますでしょうか。
そうした母たちも一緒に多くの請願を集め、地方議会の厚生常任委員会に請願提出をして、提出をした議会で可決をしていただいて、二〇〇四年度の政策予算の中に、小さい額ではあります、一千七百万ですが、市から持ち出しでそういうB型通園事業を実施をするということを自分の経験の中でやらさせていただきました。
基地附近の百鬼夜行の有様は、学童の勉学する所まで荒らされ、幼児さえ米兵の行為の真似をして遊ぶ状態は、ひとり日本の母を悲しませるのみならず、遠く我が子の上を思うアメリカの妻が、母たちが、若しこの実情を知りましたならば、その歎きと、当局に対する不信と憤りは、どのような結果を招くでありましようか。
核家族化で別居したその子供たちが長い老後を迎えている父や母たちを扶養するということは、ほとんど不可能でありましょう。 かといって、では、若いときに自分の高齢期をどう過ごすかということで蓄えを残すということ、これができるのも、ごく恵まれた一握りの人を除き、国民の大多数の大衆は、働いた報酬というものを将来のために残していくということもこれまた今不可能ではないか、こんなふうに思います。
その始期を百三十万、そしてその終期を三百六十五万といたしましたけれども、その始期の百三十万というのは、母子家庭の母たちほとんど働いておりますが、約半分はパート、アルバイトで、残りの半分はフルタイムの正社員で働いております。
人権団体の「五月広場の母たち」というのも依然として運動をやっておりますが、これは今現状はどういうことになっているのか、簡単に御説明ください。
障害や難病を抱えた人々、被差別部落やアイヌの人々、そしてまた母子家庭や非婚の母たちが深く傷ついていることにもよくあらわれていると思います。しかも、政府の政策自体がこれを助長していることに、総理、お気づきになりませんか。福祉の対象となる人々が、貧困とか障害者とかいった社会的な烙印を押されないよう、行政は細心の配慮をする必要があることは御理解いただけると思います。
読み上げたら涙が出るほど大変なことがいっぱいあるのでございますが、とにかく私たち現実に不可能なんだ、日本人の母が精いっぱい資料を用意して行ったらそれを認めてやってくれ、こういう母たちの願いなんでございまして、取り扱いでひとつ御配慮賜りたいと思っておりますが、いかがでございますか。
次に、国籍法に関連をするのでありますけれども、ここに「沖縄の混血児と母たち」という福地曠昭さんの書いた本があります。この福地さんという方は、沖縄県教職員組合の副委員長をしておられます。それと同時に、県の教育振興会の事務局長をやっています。
現在母たち、もうわれわれの年代、私も戦争未亡人でございます。考えてみれば、夫と暮らしたのはたった一年間足らず、夫の方の名前を名のって四十年になります。女一人がここで耐えていく、しかも妻の代襲権も何もなしで、夫の遺産というものは何もなしで、ここまでかみしめて自分に言い聞かせ言い聞かせ、戦争の犠牲のもとに泣いている女というのはたくさんおるわけでございます。 私も、財産のことで十年間裁判いたしました。
でも身分保障には不安をもっていて、事故の起きる前日も、母たちは上司と話し合ったと言っていました。その夜“誇りのもてる仕事なら、一層身分保障が必要だ”って二人で話し合ったばかり」のときになくなったというのですね。 いいですか。この横山さんという人は、四十四年の九月に家庭奉仕員になったわけです。
留守宅の四人の妻や母たちは、電報を手に「貧乏人はどうしてこういじめられるのか」と泣くばかり。大きな工場や事業場で大きな事故がある。死ぬのはきまって下請けの労務者である。冬だと、その中にかならずといってよいほど出かせぎ農民がいる。先月末本紙社会面に「母恋しさに三百キロ」という記事が載った。六年生の男の子が保護された。和歌山のみかん畑へ出かせぎに行った母親に会いたかった、という。
世の母たち親たちにしてみますれば、服用するにいたしましてもしないにいたしましても、いずれにいたしましても、この小児麻痺という病気が非常なおそるべき病気であるというところからいたしまして、服用させなければ愛児がポリオにかかる、小児麻痺にかかるということを恐怖せざるを得ない。
この母たちが就労しておる場が今必ずしも適当でないと考えられるところに働いておりますが、こういう中高年齢層が奉仕員として働く場になればたいへん好都合だと思うのですが、いかがでしょうか。
おそらくお母さんたちのいろいろな集まりにおきまして山家さんたちがいろいろ御議論なさったときにそういう御意見が出たと思いますけれども、まず一点は、そのことについての山家さんたちが代表する母たちの空気を、また御認識のほどを伺いたいと思います。
われわれも多発地区である熊本県天水町に行き、保健所長、町長等の説明を聞き、患者の母たちとひざを交えて話し合ったのでありますが、これらの人々も子供が病気になるまでは小児麻痺のほんとうのおそろしさを知らなかったと述懐していました。当町は県下でも環境衛生状況は比較的によかったとのことで、患者は多発したが、各部落に散発的に発生して、伝染経路はわからないということでありました。
だから、それに対して母たちの生ワクを少しも早く使ってほしいという願いはあなた方の想像以上に強いものがございます。そういう希望を申し述べ、嘆願に行ったときには一体これに対して厚生省はどういうことを指導しておいでになるのかということを伺いたい。ですから、高野さんの言われたように、薬事審議会の議に諮らなければ新しい薬が使えないような法律があることは私も承知いたしておる。